失業した。
派遣でなんとか生活をしていた。
派遣で採用されたときは、助かったと安心した。
政治をやっている人たちが、失業して生活に困っている自分のような人を救う手立てを打ってくれていたんだと、心底安堵して、感謝した。
自殺者も減ったと聞いていた。
今は、といえば、どうだろうか。
コロナの影響で、失業者が増えているらしい。
必死に仕事を探しているけれど、全然見つからない。
手持ちのカネはもう底をつきそうだ。
早くワクチンが実用化されて元通りになってほしい。
正社員から派遣社員になって、生活が厳しくなり、貯金を食いつぶしていっていた。
キャシング枠もいっぱいで、これ以上は借りられない。
別に、ぜいたくをしていたわけではない。
電気代や食費やスマホ代、それに、キャッシングの借金が、重くのしかかっている。
年金も保険も支払う余裕がない。
減らせそうな出費は家賃だけれど、引越し費用が捻出できない。
このまま仕事が見つからなかったらどうしようか。
家賃が払えなくなったら、出ていくしかないだろうか。
それとも……。
失業者や自殺者が増えています。
しかし、失業者や自殺者が急激に増えているのは、新型コロナウィルスの蔓延が「きっかけ」なのではなく、これまでに政治が作ってきた社会の結果、その影響が目に見える形で現れてきたということに他なりません。
いざという危機に、それを乗り切れるだけの生活基盤を固められる社会にしてこなかったために、むしろ、生活基盤を破壊する方向で社会を作ってきたために、いきなり崖っぷちに立たされて、人生そのものを失う人が、続出しているのです。
日本の平均賃金はアメリカの6割にも満たず、平均賃金も最低賃金も(韓国が発展途上国とするならば)発展途上国以下となっています。
(日本では、東日本大震災以降、政権が交代してから、なにもかもが上手く行っていると信じさせるために、統計の改ざんが大規模に行われるようになったので、実際にはもっと人々の生活状況は悪いと見るべきでしょう。)
その上、物価や税金が上がっていっているので、自由に使える手取り収入はひたすら下がり続けています。
そのため、平均的収入の日本人が、他の先進諸国で平均的な生活を送るのが到底不可能な状況にまで、日本社会は落ちぶれています。
そして、政策によって非正規雇用を増やし続けた結果、世界でも有数の不安定雇用社会となっています。
実に6割弱の女性が非正規雇用で、男女賃金格差が世界的に見て極めて大きく、女性にとってはたいへん厳しい社会です。
しかも、新型コロナの流行に対して、全世界がウィズアウト・コロナに必死に取り組んでいるにも関わらず、日本はウィズ・コロナという真逆の政策を進めて伝染病の感染を広げています。
「国民の生命及び健康を保護」という法にあからさまに反しているわけですが、自民党の掲げる「自助」という方針のもとでは、新型コロナに感染するのも、感染して苦しむのも、感染して死ぬのも、第一に私たちの責任とさせられます。
第2次安倍政権の時代において、大雪・大水害・大地震など、数多くの甚大な災害が発生しましたが、人々が助けを求めているその只中に、酒を飲み、ゴルフをし、家に帰り、ことごとく動きませんでした。それは政権が替わった今も全く変わりません。ありとあらゆる危機に一切対応せず、自分たちの懐が潤うこと以外は何もしませんでした。
これは「税収とは国民から吸い上げたもの」と表現した安倍元首相の言葉に、端的に現れています。つまり私たちは「お国」のために働いて奉仕するだけの存在(要するに家畜)、としか見なされていないのです。
税収とは国民から吸い上げたものでありまして
2016年1月21日参議院決算委員会において安倍元首相
住みたくない国ランキング下位常連の日本ですが、人助けランキングで世界最下位となっているように、日本人は困っている人を助けようとしません。日本が新型コロナで大失敗を犯しているのは、偶然ではありません。多くの人が望んでいるので、このように他人の命を気にも留めない殺伐とした社会になっているのです。
公的支援を求めても、いわゆる「水際作戦」で門前払いされます。餓死しようがお構いなしです。
「新型コロナの感染者や死者は欧米より少ない」と簡単に言ってしまう人をよく見かけますが、ひとりひとりにそれぞれ意味のある人生があることを、彼らは全く理解しません。見ず知らずの他人が死のうが国の失策で殺されようが、どうでもいいわけです。
(感染者数を低く見せかけるには、日本政府が行っているように、検査をしなければよいのです。実際100万人の感染者がいても、そのうちの1万人しか検査しなければ、感染者数を1万人と偽装できます。これは、このところまったく報道されなくなった、人類史上最悪の福島原発事故でも行われています。「測定しなければ放射能汚染はない」という理屈です。)
国を運営する人たちが、私たちの命を軽く見ており、私たちに死と隣り合わせの生活を強いており、これを多くの日本人が善しとして選んでいるという事実。ということはすなわち、多くの日本人は隣人がどうなろうと意に介さないばかりか、自分や家族の生活や人生や命を国家体制より軽く見ており、意識的にしろ無意識的にしろ、家畜として生きる道を選んでいるという事実を、しっかりと認識する必要があります。
ですので、私たちを取り巻く社会状況は、今後も日増しに悪化していくと想定して、人生を組み立てていかなければなりません。